Dolaの観劇・鑑賞日記

演劇やアートに心ときめく日々の記録です

舞台『刀剣乱舞〜悲伝 結いの目の不如帰』感想ー戦い続ける座組と不条理とー

■出演:鈴木拡樹、荒牧慶彦ほか

■作・演出:末満健一

■観劇:明治座(6/5,6/6)、ライブビュ(7/29 )、映像配信( 6/3分,7/29分)

 あらすじはこちら↓ 

舞台『刀剣乱舞』悲伝 結いの目の不如帰

 

『悲伝』が舞台刀剣乱舞シリーズの集大成になると聞き、”鈴木拡樹さんの三日月宗近を観たい”の一心でチケットをとりました。これまでのシリーズは、BDで虚伝初演、虚伝再演、義伝、ジョ伝、虚伝蔵出し映像集を観ています。

明治座公演以後、ネットで多くの方がたの考察を読ませていただくにつけ、そうだったんですかっ!!と感心するばかり。ストーリーや世界観の理解はとても及ばないのですが、何か気持ちを留めておきたいと、私なりの感想をまとめることにしました。

【大まかな感想】

◇印象に残ったのは、「殺陣がすごい」「三日月がとても悲しそうだ」「要は不条理演劇か??」でした。

詳しくは【ネタバレのある感想】で。

 ◇公演期間中に多くのキャストさんが、毎日SNSに情報をあげてくださったので、舞台とは別に、演劇をつくる人たちのストーリーを体験した気がします。

とくに京都のオフタイム、移動途中での宮島プチ旅行は、ちょっとした旅番組にような盛り上がりでしたね。

また、今回は地震や大雨災害による公演中止があり、観劇が叶わなかった人たちの残念なお気持ちや、中止せざるをえなかったスタッフ、キャスト、そして座長・拡樹さんの思いも、リアルタイムに近い形で知ることができました。

 ◇カンパニーのテーマ「戦い続ける座組」が、具体的なイメージになりました。仕事のチームづくりのお手本にしたい!!

7月からは座組を追ったTVドキュメンタリー番組も始まり、東京凱旋公演の頃には「頼もしい座長のもとで、各人が自分の仕事をきっちりこなす強力なチーム」のイメージができあっていました。

初出演の加藤将さんや川上将大さんをサポートする座長の仕事ぶり、座長が動きやすいようにフォローに回るベテランキャストたち。

 こうしたイメージは作品の見方に影響しやすいので、プラスマイナスがあるでしょう。でも今回の場合、観客の「いい座組みだなあ」と思う気持ちが、作品上の本丸の結束を想像させ、本丸への愛着を高める効果をもたらしたと思います。

 

ここからは、ネタバレがあります。

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【ネタバレのある感想】

◇三日月が悲しそうーー不条理を乗り越えようとする物語として

三日月は何がそんなに悲しいのか、何と戦っているのか、「未来へつなげたいのだ」と言うけれど「このままでは未来はない」という意味なのか????

=三日月は何かの事情で時間軸を果てしなく円環する運命にあり、それを受け入れている。だが一方では、山姥切が円環を断ち切ってくれることを切望している=

 分からないことばかりなので、ここはシンプルに「不条理を乗り越えようとする物語」でくくることにしました。

というのは、年初にWOWOW2.5男子推しTVの未公開映像で、拡樹さんの「不条理劇をやってみたいけどね〜」という言葉を聞き、気になっていたからなのです。

鳥越さんと“コタツみかんしていた時”のトーク。収録時は「髑髏城の7人」の公演中だったので、天魔王のイメージでカミュの「カリギュラ」かな、それとも静かにベケットの「ゴドーを待ちながら」かな、なんて想像しましたが。。

 私は拡樹さんのことを「演劇に対して貪欲なチャレンジャー」と思っており、舞台刀剣乱舞の解釈も何か秘めているのでは、と期待したりもしています。

 

 ◇心に迫ってきた、義輝と決別したときの三日月の目

「悲伝」の中で、足利義輝は不条理に抵抗する象徴的な存在だと思います。

千穐楽の映像配信を観ると、義輝と三日月の決別のシーンが凄まじい。とくにカメラが捉えた三日月の目のゆらぎ。。。

=義輝は三日月が円環していることも、自分が永禄の変で死ぬことも知ってしまった!!その上で、三日月に助けを求めた=

この時の三日月は、義輝に真実を突きつけられたことで、一瞬怯えたような目になり、やがて迷いを振り切るような険しい口の動きで「義輝よ!」と呼びかけます。そして、以前よりも愛情深く、文字通りの菩薩のような表情で「お主の行く末はお主だけのものだ。思うままに生きよ」と諭しました。

 三日月は人間ではないけれど、人の感情としてとても説得力がありました。拡樹さんがわずかな時間に複雑な感情の振れ幅を表現したことに驚き、「なんて素晴らしい役者なのだろう!!」とあたらめて感動してしまいました。

 

◇やはり不条理劇かーー三日月の「刀としてのありよう」は

三日月と山姥切の最後の対決は、ほんとうに見応えがありました。お互いに信頼しているからこそ、あのような激しい殺陣ができたのでしょう。

ですが、なぜ戦っているのでしたっけ?

千穐楽だけ山姥切が勝ちましたが、『悲伝』ではどちらが勝っても三日月は刀解され、再び円環をめぐることになりました。

「虚伝」から振り返れば、三日月は本丸の皆を励まし、一緒に戦って主命を果たし、時には遠足でどんぐりを拾い、お茶目なギャグを飛ばし・・・実に三日月らしいやり方で本丸を愛してきたと思います。

 

作家のアルベール・カミュが好きなので、どうしても結びつけたくなるのが不条理をとりあげた小説「ペスト」です。「ペスト」という病の蔓延は悲惨で理不尽な運命ですが、その運命を自分のものとして受け止め、自分にできることを誠実に行うーーー不条理とのそうした戦い方が描かれています。

 

三日月が義輝に言った言葉「お主の行く末はお主だけのものだ。思うままに生きよ」も、まさに不条理に抗う人へのエールだったのではないでしょうか。

 三日月自身も、長い間、円環の運命を受け止めながら、懸命に生きてきました。

『義伝』の最後近くに、三日月が主に語りかけたセリフを引用します。

「皆、主よりさずかった人の身を受け、戦い、営み、懸命に生きる。手前味噌ながら、俺もそうだ」

 この言葉に、三日月宗近の根本が集約されている気がするのです。

 もしかして、本丸や刀剣男士たちを愛しながら、円環し続けることこそが、三日月宗近の「刀としてのありよう」ではないかと考えたりしています。

 

・・・読んでくださった方、ありがとうございます。役と役者、役者と役者の関係によるトリプルイベントのことも、まとめていけたらと思っています。