Dolaの観劇・鑑賞日記

演劇やアートに心ときめく日々の記録です

舞台「時子さんのトキ」感想1〜北風に巻かれる人々 

コロナ禍があらわにした様々な社会の問題を、容赦なく突きつけられた舞台でした。人を信じられない寂しさが今も心に留っています。

登場人物たちはそれぞれの価値観に閉じこもり、人を思いやるとか理解し合おうとする余裕がない。だからなのか、自分も人も信頼できないようでした。身につまされる部分があり、なかなか辛いところです。

ただ、主人公の時子のモノローグで進行するので、あくまで彼女の感じ方であり、物語の街の中で本当に起きていたことは少し違うのかもしれません。

とすれば、時子の孤独はさらに深く、序盤シーンのように北風に巻かれ続けるように思えます。

(観劇:2020年9月13日ソ,15日ソ,17日マソ,19日マ、読売大手町ホール、10月4日配信)

 

ここからは、ネタバレとネガティブな感想を含みます。

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⬛︎北風の吹く日にはじまった

分断、依存、DV、同調圧力、不要不急の概念、コロナ失業、SNSの中傷から自然災害まで、現在の社会にある問題をがんがん入れ込んだ、意欲的な構想でした。

しかし、落としどころが「主人公時子の息子に対する愛と誤解」というのは、やや肩すかしの印象。「すがっていた夢から覚め誤解も溶けて、時子の新しい時が動き出す」といったラストを迎えますが、あっさり事態が好転したとはとても思えない。「いろいろ問題はありつつ人間は愛おしいね」と達観もできませんでした。

こういうことも、狙いの一つなのかもしれませんが。。。

序盤の北風の吹く日、人々がチラシのように巻かれ流される光景が、この舞台を象徴していたと思います。

 (ものがたり)

時子は離婚し息子と別れた寂しさから、ミュージシャンの翔真を応援するとして強引にお金を貸し続けます。周囲からは翔真に騙されていると見なされ、あれこれ忠告されるのですが、時子自身は翔真がいなくなったら困ると自覚してやっているー

 

⬛︎時子は同調圧力に弱すぎるけれど、その気持ちはわかる

時子は外部の評価をとても気にして、それが感情や行動の背景になっていました。コロナ禍で同調圧力が強まった現在の空気を再確認させられます。それを体現した高橋由美子さんの演技が素晴らしかった!

時子は離婚によって世間で一般的とするライフスタイルから外れ、さらに息子が父親との生活を選んだことで自信も心の拠り所も無くしてしまいました。孤独になり自分を守るために必死で、世間の目に敏感にならざるをえなかったでしょう。

翔真に出会い依存しはじめたのは、噂話が原因でママ友や職場の同僚たちに避けられるようになった頃でした。時子のモノローグなので本当のところはわかりませんが、明らかなイジメというよりも、離婚した女性に対する世間の違和感が、同調圧力として時子に降りかかったのだと思います。

 翔真にお金を貸すようになったのも、翔真の歌をSNSで中傷されたのがきっかけでした。レッスンを強く薦め資金を出したことが、翔真の甘えを引き出してしまいます。

 自信を持って「誰が何と言っても翔真の歌が好きだ」と思えたらよかったですね。目先の“売れること”や”SNSの評判”に振り回されたら、自分の心も翔真の音楽も死んでしまう。

 でも、時子の気持ちはわかります。世間からはじき出されたら怖いもの。

 そして彼女は、翔真を信頼できたわけでもないですね。厳しいことですが、時子さんの孤独を埋めるのは息子でも翔真でもなく、時子さん自身なのでしょう。

 

⬛︎翔真は「クズ」だったのかしら?

前宣伝で言われていたほど翔真は「クズ」ではなく、決断を先延ばしにするモラトリアム。ひいき目ではのんびり屋の「ぐず」だと思いました。年齢設定が20歳代の8年間ですから、こういう青年は珍しくもないでしょう。成長途中として、私は許容したいですけれど。

劇場では何度か前列席でしたので、上演回によって鈴木拡樹さんが演じ方を変えて見せてくれたのが分かりました。とても繊細な演技で、一瞬一瞬に目が離せませんでした。

借金するときには良識との葛藤があり、時子にお金を押し付けられてしまうものの、時子の見えないところでは苦痛の表情。時子が息子との関係に悩む様子を優しい目で見ていたり、「金の切れ目が縁の切れ目になるのは嫌だ」と言っていたりで、翔真は人とのウエットな繋がりを知っていたのではないかしら。ただ、いかんせんお金がなく、お金にプライドが削られていった感があります。

バイトをしても、東京で家賃を払い音楽活動を続けるのは経済的にかなり苦しく、時子のお金は救いだった。また、災害にあった実家の農場を立て直すために、750万円も借金。やがてコロナの流行で音楽活動ができず、バイトも失業し、ずるずると重ねた借金が合計で1000万円。実家の件も嘘ではなかったが、周囲から詐欺呼ばわりされ、実母にも知られてボロボロになってしまう。

ここからクライマックスへの翔真の演じ方に違いがあったのですが、1つは、電話での母の声に涙を流し、惨めに膝を折って土下座。もう1つは、時子の過ちも全部引き受け、身体を震わすことなく土下座。

私は後者を観た時、ほっとしました。翔真は時子が周囲に糾弾されるやいなや、「全て自分の責任だ」と言い、時子に今までのお礼を言って、しっかり手をついたのです。時子と出会って初めて、彼なりの決断ができたのだと思います。翔真これで前に進める!

一方、この決断は時子との依存関係を断ち切ることを意味しました。時子は翔真に何も感じなくなり、再び息子へと気持ちが逃げてしまったのでしょう。

この最後の翔真と時子の表情は、客席の角度によっては見えなかったようです。ディスクでは2つめのバージョンで収録されることを願っています。

⬛︎「不要不急」への依存と観客の立場について

とてもひっかかっていることですが。。時子が依存した翔真は、なぜ”売れないミュージシャンの設定だったのかしら?観客の立場からすると、かなりデリケートな設定だと思うのです。

前宣伝では翔真の「クズ」がキーワードでしたが、実際の舞台は特に遊び歩いている男ではなく、一応はミュージシャン。自分で部屋も借り、借金といっても実質的にはさほど高額でもないので「クズ」の印象がうすい。

コロナ対策のもとでは音楽や演劇は「不要不急」と言われましたが、世間では「ミュージシャン=不要不急=クズ」の解釈になるという意味かしら。そこが問題提起なの??

「依存」についても、時子がミュージシャンに貢ぐことと、この舞台の観客が観劇や俳優にお金を使うことが重なってしまい、少し苦い気持ちになりました。

観客には、翔真を演じた鈴木拡樹さんのファンが多く含まれます。ミュージシャンと俳優の違いはあれど、“推し”を熱心に推していることは同じで、私もその一人。そして確かに「観劇はお金がかかるなあ〜」と自覚があり、依存も気にはなっていました。

だから、時子が周囲から「目を覚ませ」と責められるのを観ているうちに、劇場に座っていることを含め、私も“推し”にお金と時間を投じてきたことを思い出してしまったのです。

もちろん苦労して上演しながら、観客に「推しにうつつを抜かすな」「不要不急は控えて」などと皮肉を示したはずはないでしょう。

う〜ん、コロナ禍で不安な今のタイミング。観客に何を伝えたかったのか、まだわかりません。

 7月末に観た「大地」(三谷幸喜作)は過酷な話でしたが、作中に「観客を失った演劇は演劇として成立しない」というメッセージが込められました。観客としては、演劇文化を一緒に構成しているのだと実感でき、何よりも演劇のピースとして信頼されている喜びを感じました。

「時子さんのトキ」の場合、観客をもう少し信頼してくれてもいいのでは・・・と勝手に思いましたが。

⬛︎さまざまな現実

観劇後しばらくは憂鬱が抜けませんでしたが、この舞台でさまざまな現実を再確認できたことは、私にとって意味がありました。特に相次ぐ自然災害に対して、報道にマヒしているという反省はあります。コロナ禍の再拡大で、演劇や音楽などの文化を担う人たちがさらに苦境に立つことも予測されます。

私を含めみんな精一杯ですが、他者の理解はお互いにとって大事なのだと、あらためてこの舞台作品から受け取りたいと思っています。