舞台『象』の感想
演出の小林且弥さんは、演劇を鑑賞することは「目撃」だと仰っていました。
舞台『象』はまさにそういう感じで、目撃できて本当によかった!
安西慎太郎さんの演技が骨太で、空洞のような青年が覚醒していく姿を目の当たりにしました。
安西さんの演じた青年が何を象徴するかを考えていたら、とてつもない比重の物質を吞み込んでしまったようで、体の奥が重たくなります。
<メモ>
ここから、ネタバレします。
キャラクターや舞台美術が象徴するものを集めると、一つ一つがひっかかるのですが、主人公の松山と演じた安西慎太郎さんに注目して、ストーリーを追ってみます。
プロローグ/松山(安西)の少年時代
舞台中央に、松山がひざを抱いてうずくまっているところから始まります。
上半身は裸で、本来の松山の魂がそのまま現れているかのよう。演じる安西さんの存在感が劇場の空気を圧倒していました。これぞ、プロローグ!
ーー松山は父親から虐待を受けて育ちます。父親「笑うことは服従のしるし」として、彼に笑うことを強います。
むりやり笑顔をつくろうと、両手で口もとを上に引っ張り、次に目尻を下に引っ張っる。安西さんの表情がゆがみまくる。父親の言葉「スマイルマークのようだ」そのままに、松山は心を封じ込めた「記号」になったのだと思いました。
松山(安西)がサーカスに入ってから
ーー松山はサーカスに入りクラウン(道化)を目指しています。団長や団員の間にいても、あいまいに笑っていました。「えへへへ」と「あははは」の中間の発音で笑い、何を聞かれても「どうですかねえ」などと意思を消してしまう。
それが、もはや身を守るすべになり、彼をここまで生かしてきたのでしょう。
ひるがえって、「あいまいな笑いを浮かべ意思を表に出さない」ことは、敗戦後80年近くも日本人に染みついた処世術を見るようでもありました。
ーー廃業となったサーカス団は、オーナーが金を持ち逃げしたため、団員たちで象の行く末を決めなければなりません。各人のエゴがぶつかる中で、松山は「自分が悪かった。自分がもっとこうしていれば」などと皆の前で言い始め、結局、象の射殺を押しつけられます。
松山はなぜ象殺しを引き受けてしまったのだろう?
単に断り方が下手だったのかもしれないですが、みんなが言い争い、傷つけ合のがいやだったように思えます。いえ、初めから象を逃がす意図が隠れていたとも考えられるでしょう。先輩団員が松山に、最後だからとクラウンの白いメイクを施してくれたことで一歩前進、彼の中に意思表示の気持ちが芽生えたのかもしれません。
そこから象に向き合う安西さんの演技は、やっぱり天才でしたね!
彼は象に自分で逃げてほしいと願いました。「君は象なんだよ」と象の誇りを呼び覚まそうと語りかけ、そして銃口を自身にも向けてしまう。怪我をしている彼の足や手のもどかしい動きで、思いどおりにならない彼の自我がいっそう痛々しく感じられました。
ーーやがて、銃声と象の鳴き声。
エピローグ/松山(安西)はクラウンになる
ーー象に銃口を向けて団員のところに戻ると、松山はクラウンをみんなに見てほしいと、銃で脅しながら演技をはじめました。やがて彼が象を逃がし、その時間稼ぎでクラウンの演技をしたことが判ります。皆は大慌てで出て行き、松山だけが残って終わりました。
松山はうまくできない演技を続け、必死であったり笑顔だったりするので、狂ったのかと思いました。念願のクラウンを披露しているのに嬉しそうではなかったのは、「象を逃がさなければ」の一念だったからでしょう。
皆が出て行きひとりで踊るシーンは、空気と戯れ交わるかのような動き。ラストのはしごをどこまでも昇っていく姿は、天国への道をたどると思いたいですが。。
象と松山について~無意識の意識
サーカス団だから象がいるのは納得できますが、松山が「君は象なんだよ」と教えなくてはならないほど、自分が象であることを忘れていたのですね。服従しているいうちに、自分が何者であるか判らなくなってしまう。象は松山自身だったのでしょう。象は外界へ、松山は天へと自ら解放されていきました。
この作品の脚本と演出が凄いのは、そういうことも「あからさま」にしないところだと思います。私たちは忘れたことも忘れているので、リアルではなかなか「あからさま」になりようがないからです。
安西慎太郎さんの演技について
2020年の一人芝居『カプティウス』以来でした。
彼が舞台に上がると、演じているふうでもなく、役が乗り移っているふうでもなく、ごく自然に存在していると感じます。非日常の世界ですが、日常の奥底に潜っていくというイメージ。
ただ『カプティウス』のときと比べ、役者として少し逞しくなったかな。
今までは、繊細で壊れそうだなあとハラハラしていたのですが、カンパニー全員と観客を俯瞰して引っ張れる座長役を果たしていたと思います。りっぱでした。
そのほかについて
それぞれのキャスト、キャラクターも一筋縄ではいかない魅力がいっぱい。
伊藤修子さんはほんとに唯一無二の役者さんで、修子さんひとりで「世間」を全部表してしまいます。鎌滝恵利さんも劇中でこだわる「塩むすび」との違和感が大きくて、作品に緊張感をもたらしていました。
今回は小林且弥さんの初演出だったわけですが、次回作もぜひ観劇したいと思います。