舞台「どろろ」感想〜全てを奪い取る、生命の輝き
激しいアクションと殺陣が、テーマを語り尽くしたような舞台。ギリギリの状況で輝く生命の力に、魅入られていました。
▪️出演:鈴木拡樹、北原里英、有澤樟太郎、唐橋充、大湖せしる、ほか
▪️演出:西田大輔
▪️原作:手塚治虫
▪️会場:池袋サンシャイン劇場
▪️観劇日:2019年3月7日、8日、9日、13日、14日、15日、16日、17日
<あらすじ>
時は戦国。醍醐の国の主である景光は、ある寺のお堂で十二体の鬼神像に領土の繁栄を願い出た。それと引き換えに生まれた景光の世継ぎは身体のあちこちが欠けており、忌み子としてそのまま川に流され、捨てられてしまう。そして時は流れ、鬼神は景光との約定を果たし、国には平安が訪れた。そんなある日〝どろろ〟という幼い盗賊は、ある男に出会う。それは、鬼か人かーー舞台どろろHPより
🔸舞台のキャッチコピーは「全てを、奪い取れ」
アニメのコピー「叶うなら、遠くまで」に比べると、かなり攻撃的に感じました。
でも、肉親の間ですら戦わねばならなかった戦国時代。周辺諸国との勢力争いに加えて、異常気象がもたらす飢饉にも苦しんでいた−−−
「ゼロか1か」の状況なら「1」を獲るしかない。
そういうギリギリの生命の厳しさが、舞台のアクションと殺陣に込められたのだと思います。
手塚治虫さんの原作「どろろ」に添いつつも、1月から放映されている新作アニメに近い設定でした。原作の百鬼丸はテレパシーで会話できますが、アニメと舞台では、見えず聞こえず話せずの状態から始まります。
その百鬼丸を演じた鈴木拡樹さん、どろろ役の北原里英さんは、見ている方がクタクタになるほど舞台を動き回り、跳ぶ!!
醍醐景光役の唐橋さんも堂々とした殺陣で、さすが戦国武将の風格!!魔物たちはダンサーさんたちの妖気だだようダンスで表され、簡単に映像に頼らないところに作り手の気迫を感じました。
以下、ネタバレを含みます。
🔸役者さんたちが、役の生命力そのものだった!
☆鈴木拡樹さん(百鬼丸)
この公演はなんとしても観たかった!!百鬼丸は当初、見えず・聞こえず・話せずで、身体の主要な部分が作り物。それを観客がきちんと感じられる、全身をさらけ出すような演技でした。
◉ぎこちない精一杯の笑顔
育ての親・寿海と再会したとき、百鬼丸が笑うんですね。ぎこちない笑顔で。「懐かしい人(寿海)が喜んでくれたから、自分も嬉しい」っていう、受動的な喜びの感情だったと思います。子どもが「お母さんが喜んでくれると嬉しいー」と感じるような。
百鬼丸はコミュニケーションがうまくできないので、心がどこまで成長しているのか、登場人物たちにも観客にもわからない。むしろ、わからない方がリアルだという設定で、たしかなのは身体の存在でした。
魔物や自分に危害を加える敵と、徹底的に戦います。寿海は「鬼になるな、人の心を宿せ」と願いますが、百鬼丸は身体を取り戻して生きるのに全力を掛けている。ピュアな生命の塊そのもの。
最後は、景光を斬らずに「生きろ」と言って去るのですが、このときの「生きろ」も、どういう気持ちからなのか、あえて余白を残した表現だったと思います。
いきなり、百鬼丸が景光を諭すようになるとは考えられない。寿海が百鬼丸にかけた言葉「生きろ〜」を、“何となく”大事だと認識して使ったのではないかなあ。
拡樹さんの表情は、景光への関心よりも、自分の身体の奪還に集中しているように見えました。
☆北原里英さん(どろろ)
北原さんのどろろ役はとても良かった!!百鬼丸を代弁するところもあるので、どろろ役が甘ったるい感じだと世界観が壊れてしまう。北原さんは腹の据わった、しっかりした人ですね。
這いずりながら「侍にまけない」と客席をキッ!と見たときは、ほんとうに説得力がありました。舞台では描かれませんでしたが、原作のどろろは、土一揆の農民たちと行動を共にするところで終わります。
ここは加賀。一向一揆で100年間もの「侍の支配しない国」をつくった歴史があります。手塚治虫さんが「どろろ」の地を加賀にしたのは、土一揆に象徴される民のパワーを描くためだったと思います。
☆有澤樟太郎さん(多宝丸)
多宝丸は、原作ではワガママなお坊ちゃんでしたが、アニメと舞台では好青年。名前のとおり多くの能力を身につけた、理想に燃える若君でした。それが百鬼丸の登場によって、どんどん崩れていく。
その若く美しいエネルギーが、結果的に自分を傷つけてしまったなんて!
有澤さんは立っているだけで多幸感を感じさせる、華やかなタイプです。だからこそ家族の真実を知り、まっとうに苦悩する姿が痛々しく、凛々しくもありました。
☆唐橋充さん(醍醐景光)
登場人物の中でいちばん感情移入できたのは、醍醐景光でした。
戦国時代の勢力争いと異常気象による飢饉で領地は荒れ、領民は餓死する。どれほど祈ったかしれない。鬼神に大事なものを捧げたとしても、領地が蘇るかどうかの確証はなかったはずです。
◉すべてを呑み込み引き受ける唐橋さんの迫力
それでも景光は最後の賭けにでた。「これは取引である!」とが鬼神に放った言葉は、自らも対等な地獄の鬼になる覚悟だったのでしょう。
このセリフをどう言うのか、毎公演注目していたのですが、唐橋さんは大きな声で宣言する回と、ぐっと溜め込んで静かに言う回の両方がありました。
景光は自分のために生き延びようとしたのではなく、自分の心を殺して、領地と領民を生かそうとしたのだと思います。
物語の最初から、唐橋さんの名演に涙が溢れてしまいました。
🔸「どろろ」のこれから
舞台の主なストーリーは基本的に新作アニメと同じ。ちょうどアニメの前半「ばんもんの巻き」あたりまでで、明るめに終わりました。一人で旅に出た百鬼丸が、どろろのもとに帰ってきたーーー
北原さんの身体ごと大きく手を振る姿が、いつまでも目に焼きついています。
ただ、アニメは4月8日から後半(12回)に入るので、前半のできごとが少し補完されるのかもしれません。そして、新たに過酷な運命が降りかかるのでしょう。希望のある結末を祈るばかりです。
🔸百鬼丸が「人を宿す」ということは
舞台はひとまず結末を迎えましたが、百鬼丸が「人を宿す」とはどういうことかを、引き続きアニメで追っていきたいと思っています。
寿海が百鬼丸に願った「人を宿す」は、「他者と心を通わせ、他者のために何かをする喜びを知ってほしい」ということでしょう。
でも、百鬼丸の精神がしっかり成長したとき、両親と弟の苦悩を深く理解できるはず。身体の奪還が百鬼丸にとっての原罪となったことに、苦しむと思います。
さらに戦国の世では、愛しい人々を守るには別の人々を殺めなくてはならない。
「人を宿す」というのは、喜びとともに、それまで知らなかった苦しみを背負うことになってしまうでしょう。
百鬼丸が今度は人として、苦しさにどう立ち向かうのか、それを鈴木拡樹さんが演じるのを、ぜひ観せてほしいです。
🔸「どろろ」の時代背景
蛇足ですが、「どろろ」の時代を少し調べましたので記しておきます。舞台でも悲劇の大きな背景になっていたのは、周辺諸国の脅威と異常気象でした。
☆周辺諸国の脅威
醍醐景光は架空の人物ですが、醍醐が仕えたとされる加賀国の守護大名・富樫政親は実在しました。富樫政親を手がかりにすると・・・
富樫政親が生きたのは1455~1488年で、最期は一向一揆に攻められ自害。その後、加賀は信長に滅ぼされるまで100年間、「侍が統治しない国」になりました。応仁の乱は1467~1477年。フィクションなので特定できませんが、こうしたイメージでしょう。
☆異常気象
『気候で読む日本史』(田家康著)によると、1450年代から1480年くらいの間に、日本中で大規模な天候不順が起こり、冷夏・長雨・旱ばつ・台風と続いたそうです。飢饉にあえぐ人々の食料は他国から奪うしかなく、百姓たちの土一揆も頻発したと記録されています。
人間も巨大な自然の一部でしかないこと、それでも生命は輝く!!と痛感させられたことが、舞台「どろろ」の凄さだと思いました。